【日常の当たり前を失った経験があります】
今13歳の娘が、2歳で国が指定する難病を患い
何ヶ月もの入院生活を虐げられた時に
日常の当たり前を失った経験があります。
なので今、家族揃っておうちで過ごせていることが、本当に奇跡の連続だと思うのです。
そして昨年、私が足を骨折していたときに、
今まで普通に出来ていたことが出来ず
「一見すると役に立たない私」みたいになってしまっていたのですけど
それでも毎日夫は、仕事終わりに
今日の晩御飯は何がいい?
とLINEをしてくれたり
私がメニューに困っていたら考えてくれたり
買い物をして帰ってきて
尚且つ、仕事で疲れているのに
作ってくれていました。
娘のお風呂も、寝かしつけも
朝の登校の準備も全て。
(これはいつもです)
本当にありがたくてしかたありません。
でも実は、こんな関係性ではなかった時期があるんですけどね。
http://xn--r8j6gta3991ab1ks64b.com/donnzoko/
人は、役に立つ自分でいたくて頑張ります。
人に認めてほしくて
愛されたくて
何か見返りを求めるが故
何か出来る自分になろうとします。
しかしこのほとんどが「無意識」で
「無価値感」や「自尊心の低さ」からくるものなんです。
以前の私がそうだったからわかるんですけど
でも、本当にそうでなければ愛されないのかなぁ
って、今の私は思うのです。
「ただ存在するだけで価値がある」
これを、どれだけの人が
「体験的」にわかっているのだろう。
もし今、あなたが寝たきりになって
何にも出来ない自分であっても
それでも与えられ
自分には価値があるって思えるのだろうか
無力な自分でも、愛される自信がありますか?
そんなことを感じていたら
ふと目に止まったブログがありました。
「私は日常普通にできていること、当たり前のこと、すべてを失ってしまいました。絶望と向き合う日が始まってしまいました。」
「歩けてても歩けてなくても、生きてるだけで、、、」
ある日、病に倒れ
下半身不随になられた
ダウン症の息子さんをお持ちのお母さんでした。
そんな内容のブログを拝見して
あぁ、私は
「あなたはただ存在するだけで価値がある」
それを伝えたいんだ
それを体験的に生きる人生って
本当に幸せだよって。
そんなことがストンと腑に落ちた瞬間でした。
その心打たれたブログを私のブログ内でシェアしています。
良かったら読んでみてください。
【ただ存在するだけで与えられ価値がある】
https://ameblo.jp/kanon-0816/entry-12540499267.html
(一年前の記事です)
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